みんなもう少し死と言う現象を考えるべきだ。
経験者から話を聞くことが出来ない死と言うものに
自分勝手なファンタジーを見てはいけない。
 
実際、死をファンタジーにしてるのは宗教だったり漫画だったり小説だったり。
死を知っている人間なんかいやしないのに皆それを信じたがる。
どうかしてるよ。
「死ぬのも苦痛だが生きるのはもっと苦痛」なんて台詞も納得してしまいがちだが、
えっらそうに。
生と死をトータルで苦痛比較できた人間なんかいやしないんだって。
 
逃げ場所としての死の価値は、僕が思うにかなり低い。
行ったらどうなるのか正確なことを何もわからないで逃げ込むのは
最悪だ。行って見たら今より苦しいかもしれないのに。
誰もが行ったっきり帰ってこないところだからいい所だと思うのだろうか。
居心地がよくて帰ってこないとでも思っているのかね。

どうして死んでしまったら苦痛から解放されると信じれるんだろう。
死は永遠の苦痛かもしれないのに。
目が覚めない夢もみない眠りであろうと、ただの虚無であろうと
輪廻があるとしても、霊魂があるとしても、
今よりいいところと気楽に思えやしない。

だいたい僕たちは大人になっただの誕生日だの祝うが
日々死に向かって行列してるようなもので
全ての人間は時間と言う遅効性の毒薬を毎日毎秒のんどるのだ。
薬や紐や刃物なんかよりも効果テキメン、致死率100%なのだ。
時の毒が回るなかで抗って、何とか種を残そうと恋をして、
子を産んで、時間に何とか負けないで増えて来たのが人間なんじゃないのか。
何にもなくたってちゃんと死ねるよ。
焦る必要なんかないし、死の行列を割り込んでまでいいものが待ってるかどうかはわからない。いずれ皆到着するもの。

メチャクチャに往生際悪く生にしがみついて、血反吐も糞尿もそこら辺にいる人間にぶちまけて、泥をすすってでも生きて、異性に喰らいつく、
そういう生き方は疲れるだろうが、疲れたからなんだ。
もっと生に執着しろ。無様にサバイバルしろ。