デイ・アフター・トゥモロー
宣伝しまくりの災害映画。
確かに大災害の描写は迫力。笑っちゃうくらい。
でもこれサイコーだよ!観なきゃ!とは言えない。
なぜか。
答えは簡単。燃えないんだよ!
こういうパニックもののポイントは
1.前フリで登場人物たちの性格、家族構成、悩み、などをわかりやすく、かつ主人公以外の人々にも目を向けて感情移入度を高める。
2.地球規模の危機に対して、無謀としか思えない行動を主役級の誰か、または皆で協力して行う。
3.その行動中の重要人物の自己犠牲=死
4.もちろんあいた口がふさがらない様な大災害。観ていて「ここにいたら間違いなく死にます。無理。」と思えるくらいの。
5.クライマックスの畳み掛ける大災害。人類へのトドメ。
この映画には1.と2.が欠けている。
なんでかって、もう災害の規模がデカイだけじゃなくて、
早すぎで対処法がなにもないから。もう逃げることで精一杯。
ところがその大災害も、北半球のみという微妙さ加減で、
逃げようと思えばわりとアッサリ逃げれそうなところもマイナス。
おきまりの無視されがちな学者とその息子という主役のドラマも
なんだか感情移入できないアッサリ具合。
息子の色恋沙汰も無くてもいい程度。
これじゃあ燃えない。
だからと言って「息子と父が協力して宇宙から謎の新光線を極点に発射、
みるみる収まる嵐。だが宇宙から帰れない親子、宇宙で乾杯」とかそう言うのにしちゃうと
どうにもならないB級映画になるが、僕は言いたい。
そっちの方が語り継がれるカルトになったのに!
ラストのアメリカは反省文を原稿用紙一枚にまとめなさいみたいな
あの辺はハリウッド映画には珍しい腰の低さ。
「アメリカ人がメキシコの難民収容施設に入ってる」って言う設定が観れただけでも僕は満足といえば満足してますが。